言語化する試み、ちょっとした欲望。

言語化するということの大切さを、大学生になってからとても強く感じる。

大学での学びは、高校までのようにただ授業内容を詰め込んで、演習すればよいというものではなかった。

講義では毎回のようにリアクションペーパーを求められ、定期的にレポートを提出する必要がある。また、ディスカッションなど人と話しながら言語化を求められる場合もある。

 

そうして自分の考えを言語化する機会が増えるにつれて、もどかしさを感じるようになった。うまく自分の考えを伝えることができないというもどかしさである。

このブログを始めた理由は、そんな自分の考えを言語化するトレーニングがしたいという欲望からである。筋トレをしない人に筋肉がないように、自分の考えをアウトプットする習慣が無い人には言語化する能力があるはずがない。

 

そうして自分の考えを言語化していくと、さらに欲望が生まれた。

言語化した自分の考えを他人に理解してほしいという欲望である。

自分で言うのも変な話であるが、私の感覚は世間一般の感覚とズレているようで、そのせいで歯がゆい思いをしてきたものである。

しかし、ただ理解してほしいというわけではない。正直な話、私は他人を完全に理解できるなんて思っていないし、全肯定されたいと思っているわけではない。

私の記事を読んで、こんな考えもあるのか程度に読み流していただけることが一番よいことかもしれない。

 

このブログでは、現実での友人に対面では言えないような、偏った自分の考えを垂れ流すしていきます。

現実での私の友人がこれを見ていようがほとんど問題はありません。私がどんなやつかより分かるよい機会でしょう。それで私と疎遠になるならそれもよいかもしれません。