反出生主義に対する持論とそのちょっとした効能

はじめに

 近年、反出生主義がネット上の一部で盛り上がりを見せている。反出生主義とはなにかざっくりと説明すると「地球上に存在するべき人間の数はゼロ人であり、新しく人間を作ることは倫理的に間違っている」とする哲学的立場である。

 私もかつては反出生主義を信仰していたが、自分なりに反出生主義について思索を深めていくうちに、問題点や持論が固まってきたため文章にしていくことにする。拙い文章ではあるが、最後まで読んでいただけると幸いである。

 

反出生主義に対する私の立場

 私は反出生主義に部分的に賛成している。そのなかでも、私は反出生主義を「同意不在論」という立場から支持している。

 同意不在論とは、害をもたらす、またはその可能性がある出生を本人の同意なく他人(生まれてくる子ども)に強制することは間違っているという考え方である。

 

この論をもとに私は出生をするべきでない理由を挙げる。

  1. 出生させられる相手に同意をとることができないこと。
  2. 相手がそれに対してどう評価するのか分からないこと。また、評価されない場合もある。
  3. その行為が不可逆であること。
  4. その行為をしなくても問題が無いこと。

 以上の点から私は反出生主義に賛成している。

 

反出生主義者への辟易

 私の反出生主義への信仰が揺らいだ原因として一番大きいものは、皮肉にも反出生主義者によるものである。

 Twitterをしていたときに反出生主義のコミュニティに属していたが、エコーチェンバー現象が起こっているとでも言おうか、先鋭化した過激な意見が多く、子どもを産んだ人を過度に非難する様に嫌気が差した。反出生主義は生まれる前の段階を問題にしていると私個人は考えているため、論点がズレているようなそんなモヤモヤと苛立ちを感じた。

 また、反出生主義者の中には、他の思想を併せ持つ人も多く、その中でも目立ったのがフェミニズムヴィーガニズムだった。この二つの思想は一見したところ反出生主義と相性が良さそうに思えるが、前述した通り、私は反出生主義は生まれる前の主体に関して論じているのであって、現実問題に影響を与えることはできないと考えるため、反出生主義とそれらを並べ立てたり、混同したような意見をみるとやるせない気持ちになる。

 

反出生主義の問題点・提案

 正直な話、反出生主義に関する反論は熱心な反出生アンチによりしつくされていると思うのでここはあっさりすませる。たぶん私が思いつく程度の反論は議論されつくされているだろう。

 仮に反出生主義が浸透したとして、人口減少が進むことが予想される。それにより、今までの社会のシステムが成り立たなくなるという懸念があり、その終着点は人類の滅亡である。この人類の滅亡を最終的な結果としているところが、反出生主義を危険思想たらしめているのである。

 しかし、反出生主義において人類の滅亡は目的ではなく、ただの結果に過ぎない。

 そもそも、現在の時点で多くの先進国で少子化の問題が叫ばれているのだ。反出生主義者は今更出生の加害性について訴えるよりも、どうしたら少子化が進む世界で社会システムをどう維持するか、また新たな社会システムを構築するかについて議論するほうが建設的であると考えている。

 

現時点の結論

 「生まれてこないほうがよかったのか?また、生きる意味はあるのだろうか?」という問いは古今東西の至るところで、哲学や芸術など様々な面から捉えられてきた。

 この問いに対して生まれる前の主体という点から考え方を提示することがせいぜい反出生主義にできることだろう。反出生主義は一見合理的な論に見えるが、実現できたら苦労はしないだろうというありきたりな結論に行きつく気がする。

 

蛇足:反出生主義の効能

 ここまでの内容は完全に前座であり、もっとレベルが高いものがたくさんネット上には転がっているだろうし、これからの内容も自分語りで蛇足である。しかしこの記事で一番書きたかったことでもある。

 反出生主義について思索を深めていくうちに、自分自身の哲学が作られてきた。

 私の他人に対する基本的な姿勢は「同情」と「敬意」である。言い方は良くないが私は私が関わった全ての人に対して憐みを向けている。「この人もこの世に生まれなければ辛い目に遭わなかっただろう。」と勝手に憐れんで、被害者意識を共有する仲間のような感覚を勝手に抱いている。

 このように、私の中では反出生主義的な考え方を発展させて博愛的な思想に辿り着くことができた。これも一つの反出生主義の効能なのかもしれない。